私がサプリメント会社を立ち上げた理由とは?ブロガー母ちゃん時々社長

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ブロガー母ちゃん時々社長

現在私は、サプリメントアドバイザーとして株式会社ナースキュアを経営する傍ら、アメブロの「胃腸良子:いちょうよしこ」としてエイジングケアブロガー、読者モデル、パーリィテラスアイコンチームと色々な活動をしています。なぜそんなたくさんの活動をしているのか?
一つ一つの仕事を大切にしていたら、いつのまにかこんなに沢山の仕事を抱えるようになってしまったぼですが・・・・

 

ここにたどり着くまでに紆余曲折色々あったわけです。

 

本日は私の経歴と自己紹介です。もう知っているよ!という方も我慢してお読みください、ね。

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左43歳、右46歳

 

 

私の看護師、内視鏡技師時代

 

私のスタートは看護師です。順天堂大学病院の消化器外科病棟で新人看護師として働き始めました。1日10時間のハードワーク。でも、やり甲斐はとてもありました。難しい病気と向き合い、癌と闘う患者さんを支える厳しさを経験し、腸の重要性を実感しました。ここでまず、看護師として多くのの胃がん、大腸がんの患者さんを看て土台を築きました。

 

その後、夜勤がきつくなったという安易な理由で転職をしてしまいます。まだ若かったなあ、と今では反省しています。

 

次の職場は旧東京海上企業系の健診を主に扱うクリニックです。胃、大腸内視鏡担当として内視鏡技師の資格を取得します。毎日毎日平均10名の胃袋、大腸の中をのぞきます。2.3年くらいしてからでしょうか?
検査の準備段階から、
「この人、大腸ポリープがあるな!」
「この人はピロリ菌がいそうだ。」
「大腸ガンかもしれないわ、組織検査の準備をしなきゃ!」
などと、その方の胃腸の様子が容易に想像出来るようになったのです。胃腸良子の基となる経験でした。

 

専業主婦→渡米→専業主婦→ケアマネ

 

今の主人と結婚し(残念ながらまだ1回しか結婚していません)、1歳の長男を抱え、妊婦の状態で渡米します。アメリカのコネチカットというど田舎で出産をし、2人の赤ちゃんを抱え育児戦争が始まります。
夜中の授乳、夜泣き、発熱、私の睡眠時間は1日平均4時間くらい。まとめて3時間眠れれば御の字です。
憧れのアメリカ生活は想像以上に過酷なものでした。

 

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テレビに向かって話しかけ、楽しみは妹が送ってくれる3ヶ月に1度の日本からの荷物。インターネットがまだあまり普及していない時代、日本の情報はほとんど入って来ませんでした。
2年後帰国し安定した生活が始まりほっとしたのもつかぬ間。

 

忙しくないと落ち着かない体質になっていた私は、再就職にむけてケアマネ(介護支援専門員)の資格習得の勉強を始めます。
まだ若かったので楽に合格!3歳と4歳の息子を抱えながらケアマネージャーとして働き始めます。
30人の利用者さんを受け持ち、訪問看護師も兼務し、終末期の看取り看護も経験しました。

 

この時、37歳。
もう1人子供が欲しい・・しかも女の子。計画的に狙って出来た子はまた男の子。大きなお腹で妊娠9ヶ月まで働きました。

 

出産→専業主婦→大学病院復活

 

3人目を出産し、また1からの子育てが始まりましたが・・・楽な物でした。
というか、どんどんドMになっていったのでしょう。
忙しさも、自分の時間のなさも、子供の笑顔に比べたら取るに足らない事でした。

 

逆に専業主婦って幸せだなとも思えるように。
人間というのは経験に対しても耐性ができるのですね。

 

しかし、3人目が小学生になると、またうずうずし始めました。
もう一度、最先端の現場で働きたい・・・

 

そしてエントリーしたのが聖路加国際病院。
聖路加メディローカスという会員制のクリニックに配属となりました。
そこで待ち受けていた厳しい現実が、私の起業への闘志に火をつけるきかっけとなったのでした・・・

 

この続きはまた明日。
サプリメントにたどり着くまで、なぜ45歳から読者モデルになったのか?
お伝えしたしますね!

 

 

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